ご本尊

虚空蔵菩薩様

ご本尊・虚空蔵菩薩様
虚空蔵菩薩は、智恵の菩薩として多くの人から親しまれており、大日如来の大日「組」に属する菩薩とされています。

虚空(こくう)とは、何も妨げるものがなく、すべてのものの存在する場所としての空間を指し、虚空蔵菩薩とは宇宙の如く広大、かつ無限な智恵と慈悲を所有して、あらゆる悩みや苦しみから人々を救ってくださるとされています。

三十三観音

三十三観音

明治時代の中頃、村内で流行り病が蔓延し、多くの村人が命を落とすような出来事がありました。
これを鎮めるために明治20年に祀られたと言われています。

弁財天(雨乞い弁天)

天狗沢清沢寺本堂内に高さ30センチメートル幅20センチメートル位で灰色の土製、うす板造りの弁財天の像が安置されている。この像は昔から普明庵にまつられていたもので、弘法大師(空海) が護摩の灰で造ったものだといわれている。この像の表は弁財天であるが、裏に空海の手形といわれる形があり、 それに次画のような文字がきざまれている。
これで見ると、 天長7年空海が一万座の修行を奉じ護摩の灰をもって江の島弁財天の法により作ったものと解される。 真言宗の開祖僧空海は平安時代初頭の人だったので、 その時代は合致する。 この弁財天の元となったと思われる相州江の島下の宮の弁財天図を掛軸にしたものを天狗沢相川勘吉が所蔵しているが、 黒地 (漆と思われヒビ割れがたくさん入っている。) に金ばくを用いて画いたもので、まことに古色さん然たるりっぱなものである。また天狗沢弁天とそっくり同じょうな版画板が亀沢天沢寺に所蔵されている。

ある時、天狗沢に大ききんがあった。この時普明天狗坊の僧がこのききんを救わんと、急きょ 江の島におもむき弘法大師作の弁財天を乞うて一夜にして立ち帰り、 これをまつってその難を救ったと伝えられる。 その弁天はかほどにご利やくがあると知った村人達は、これによってわが家のご利やくを得ようと、 先を争ってわが家に借りうけ祈ったところその家は皆栄えたという。今この弁財天は中央から上下二つに割れたキズ跡があるが、これはその時大ぜいが先を争って取り合い過って落して割ってしまったと伝えられる。 とに角相当に信仰された弁天さんである。

さてこれ程信仰された弁天さんだから当然、雨乞いも祈るようになった。雨乞いの時には若者達がこの弁天像を輿に移し、普明庵をでて貢川ばたにまつられる石尊さんの前で祭を行ない、それから村中をねり歩いた。 ねり歩く時には像がこわれるので、僧がこれを純白の布に包んで胸にだいて先頭に立ち、その後に奥がつづいた。 ねり歩いた輿は弁天沼といわれる沼池に行き、この沼の中でねった。 するとふしぎにも一天にわかにかき曇って大雨がはい然としてふりそそいだ。 よってこれを「雨乞弁天」というに至った。
弁天像は明治初年普明庵から清沢寺に移された。昭和初年僧が新らしくなってから雨乞いの祭事が行なわれたが、 その時は法力が足りなかったか、雨は降らなったという。
弁天沼のまわりは今は水田にせばめられ、およそ300平方メートル位の芝地になっているが、 底は沼でまわりの芝を切ると限りなく沈んで行く底なし沼だという。 またこの芝の上で大ぜいでゆさゆさゆると、 竜地の井水が濁るという。

(敷島町誌より)